豊後水道ふぐ 柳井
柳井 太一さん
生産地だからこそ、
ふぐは素材で勝負。
二代目・柳井太一さんは、目指していた音楽への夢を手放し、30歳を機に家業を継いだ。「小さい頃から両親が商売する姿を見ていたから、将来は自分もその跡を継ぐだろうとは考えていた。」
1980年。ふぐといえば下関、まだ加工技術が一部にしか知られていない時代に、柳井商店は「とらふぐ専門店」として創業した。父親が築いた商いを自分なりのアイデアで盛り上げようと試行錯誤する日々が続いたが、10数年を経た今、ふぐは素材ありきだと話す。「良いものを仕入れて素材そのものの味をお出しすることは、生産地だからできること。奇をてらったものより、刺身の技術を上げることでできることを考えたい。」
1980年。ふぐといえば下関、まだ加工技術が一部にしか知られていない時代に、柳井商店は「とらふぐ専門店」として創業した。父親が築いた商いを自分なりのアイデアで盛り上げようと試行錯誤する日々が続いたが、10数年を経た今、ふぐは素材ありきだと話す。「良いものを仕入れて素材そのものの味をお出しすることは、生産地だからできること。奇をてらったものより、刺身の技術を上げることでできることを考えたい。」
リーズナブルで日持ちのよい「瞬間冷凍した刺身の宅配」を行っているが、更なる美味しさを追求し「生のまま宅配する刺身」を開発。ふぐは身も固く特殊な技術も要するとあって1人が1日に10枚おろすのがせいぜい。刺身をひく鍛錬の日々だ。 海の産物は、環境の変化で大きな転換期を迎えている。今後30年先を見据えた時に大量加工は人手も含めイメージしづらいと、原点である一番おいしい食べ方に立ち帰ったという。
コロナ禍に佐伯の老舗飲食店が姿を消していくことに、衝撃を覚えた柳井さん。暖簾を下ろした寿司職人に、ふぐの寿司ができないかと相談を持ちかけた。
「地元のつながりある業種。何かできることは無いかと思った。」宅配寿司として培った技術を生かした「ふぐの押し寿司」は、解凍後が食べごろになるように計算して作られた一品だ。つけだれのポン酢と紅葉おろしで味わって。
普段は2児のパパ。休日はおんせん県おおいたの温泉巡りを家族で楽しんでいる。「地元の良さは自然が多くコロナ禍でも海山川で遊べるし、何より魚が美味しい。ふぐの美味しさを全国に発信することで佐伯に興味を抱いてもらい、現地に足を運んで欲しいです。」
「ふぐの加工、生産に40年携わってきた柳井商店が自信を持ってお届けします!佐伯には美味しい魚や食べ物があるので、一度食べに来てください。」